中華街の誕生と成長

神奈川県横浜市中区にある「横浜中華街」は、

エリア内に500店以上の店舗があり、

日本最大の中華街(チャイナタウン)である。

なぜ横浜に日本最大の中華街ができたのか。

横浜中華街はもともと欧米人の居住地区であった。

これは1858年(安政5年)に

日米修好通商条約が締結されたことに由来する。

この通商条約には

「神奈川」を含む5港を開港することが定められており、

これが横浜に外国人が多く住むきっかけとなった。

当時の「横浜村」には、短期間で外国人居留地や波止場、

運上所(税関)などが整備され、

国際港としての体裁が整えられた。

そして、1859年(安政6年)に「横浜港」が開港し、

諸外国との貿易が開始された。

そんな中で、

欧米人の居住地区であった場所に中国人が増えたのは、

欧米人が「通訳」として中国人を呼んだためである。

その当時、

英語が話せる日本人は少なかった。

西洋との関わりは日本よりも中国の方が早く、

英語など欧米の言葉が話せて欧米人と

コミュニケーションがとれる中国人が多かった。

また、

中国人は日本語が話せなくても漢字を書くことで、

日本人とある程度のコミュニケーションがとれた。

そのため、

欧米人と日本人の間に入る存在として一番適していた。

当初、

中国人は香港や広東から来ていたため、

広東省出身者が多かった。

その後、

外国人居住区の欧米人は減少し、

一方で通訳や商人として横浜に来た中国人は増加し、

現在の「横浜中華街」が誕生した。

現在では、

横浜中華街の所在地である横浜市中区に住む中国人の人口は

6000人を超え、

これは同区に登録されている外国人の約4割に当たる。

そして、

観光客向けの中華料理店や喫茶店

菓子店、土産物店のほか、関帝廟媽祖廟、中華会館、

中華学校などが建てられている。 

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