一ツ橋の歴史と学術

東京都千代田区にある「一ツ橋(ひとつばし)」は江戸城(現:皇居)の北に位置する。

西は清水濠、南は平川濠・大手濠に接する。

現行の行政地名としては一ツ橋一丁目および一ツ橋二丁目がある。

一丁目は麹町地域、二丁目は神田地域に分類される。

かつて町名が神田一ツ橋の時代もあった。

現在の一ツ橋一丁目には、

皇居北側の内濠(うちぼり)に架かる木橋の平川橋(ひらかわばし)や毎日新聞社

二丁目には小学館集英社共立女子大学の神田一ツ橋キャンパスおよび本部、

一橋大学の千代田キャンパスなどがある。

橋の名前に由来

「一ツ橋」の地名は、

その名前の通り日本橋川に架かる橋の名前「一ツ橋(一橋)」に由来する。

一ツ橋付近はもともと日本橋川と小石川の合流地点であり、

合流点を表す「一つ」がこの地点に架かる橋の名称、

さらにこの付近の地名になったという説がある。

その他に、一ツ橋の地名は、徳川家康(とくがわ いえやす)の関東入国の頃、

日本橋川に橋として大きな丸木が一本架けられていたことに由来する説もある。

いずれも橋の名前に由来する点は共通している。 

そして、江戸時代初期の1606年(慶長11年)以降、

この橋の前に江戸城の外郭門(がいかくもん)が築造され、

「一ツ橋(一橋)御門(ごもん)」と命名された。 

第8代将軍・徳川吉宗(とくがわ よしむね)は、

子(四男)の宗尹(むねただ)に一橋門内に屋敷を与えて一橋家を創設、

後に御三卿(ごさんきょう:田安家・一橋家・清水家)の一つに数えられた。

なお、地名は「一ツ橋」と表記されるのに対し、

御三卿の家名は一般に「一橋」と表記される。

また、一橋大学森有礼(もり ありのり)が渋沢栄一(しぶさわ えいいち)の援助を得て、

1875年(明治8年)に開設した私塾・商法講習所を源流とする国立大学である。

戦後の1949年(昭和24年)の新制大学移行に伴い、

名称が学生の投票により一橋大学と改称された。

1923年(大正12年)に発生した関東大震災により当時の東京商科大学のほぼ全ての校舎が倒壊し、

学舎は都心の神田一ツ橋から国立(くにたち)と小平(こだいら)に移転された。

そのため、現在は一橋大学の本部を東京都国立市に置く。 

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