弥生時代の町「弥生」

東京都文京区にある「弥生(やよい)」は文京区の東に位置し、

北を千駄木、根津、南を本郷、西を向丘、西片と接する。

弥生式土器が発見された場所

かつては湯島の北の丘にあたる地域の俗称「向ヶ岡」の一部であった。

1872年(明治5年)、明治新政府が旧水戸藩の土地であったこの地を接収し、

町名を「向ヶ岡弥生町」とした。

町名の「弥生」は水戸藩中屋敷に建てられていた歌碑

(旧水戸藩主・徳川斉昭(なりあき)が詠んだ桜の歌)の季節が、

3月(弥生)であったことに由来するといわれている。

1884年明治17年)、この地の貝塚から土器が発見され、

地名に因んで土器は「弥生式土器」、

その時代は「弥生時代」と名付けられた。

以後、土器の町として知られ、

1965年(昭和40年)には「向ヶ岡」の地名がなくなり「弥生」という町名になった。 

エキサイトブログの福助のブログ