東京都中央区にある「馬喰町」は「ばくろちょう」と読み、
正式には「日本橋馬喰町」。
日本橋地域の最北端に位置し、現在では「日本橋横山町」と共に問屋街として有名。
牛馬を売買する「博労」に由来する
江戸時代、この地には馬場があり、
これを幕府博労(ばくろう)頭の富田半七と高木源兵衛が管理していた。
「博労」とは牛馬の売買を行う仲介業者のこと。
その後、高木家が名主となったことで、
この町は「博労町」と呼ばれるようになり、
これがやがて「馬喰町」となったという。
1657年(明暦3年)の明暦の大火の後、
関東郡代(郡代とは税の徴収などを管理する役職)の屋敷が建てられ、
ここを訪れる人々のための旅館街となった。
その土産物の商いや、すでに問屋街であった隣町の横山町の影響で、
馬喰町は問屋街として発展した。